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尼港事件の現場を訪ねて その3  レストラン・Hong Kong(香港) 

 現在のニコラエフスクの人口は1万5千人。事件当時もそうでした。

1850年に軍事拠点として建設されたのをきっかけに、樺太やオホーツク海から運ばれる物資の積み替え基地として栄えたのです。

ロシア沿海州地図
     ロシア沿海州の地図


 日本人の居留民が増えたのは、1918年(大正7)に始まったシベリア出兵の時からです。

いち早く日本陸軍が尼港の町を占領すると、守備隊が置かれ、夏場には邦人が1000人を越えることもあったようです。

当時の状況では、11月から5月までの間は氷で閉ざされた町になってしまい、すべての交通機関は停止して尼港に入ることはできませんでした。事件はロシア革命(1917)が終わり、白系ロシアの町であった尼港に革命の波が押し寄せてきた時に起こりました。
 
 まずはホテルへ・・・。

この町にホテルは一つしかありません。その名はセーベルホテル。

どういうわけか常に満室の状態なのです。

たぶん、火力発電所が建設されて、そのメンテナンスの労働者が利用するのでしょう。イーゴリーとチェックインした私は、荷物を置いてニコライの車で町の要所を見て廻りました。

尼港発電所                   アムール川河畔にある火力発電所

当時の尼港町並みその1                     当時の尼港の町並み(当時の絵はがき)

現在の尼港の町並みその2
               現在の尼港の家並み

(どうしたんだろう、この町は・・・)

 窓越しの景色は、まるで時間が止まったような感じ。事件当時にタイムスリップした感覚を受けてしまいます。

それはなぜか。

当時の絵ハガキと比べてみても、街並み、道路の幅、区画、そして位置関係までもが殆ど昔のままなのです。

当時を想像しながら、30分ほど廻って再びホテルへ戻りました。

 セーベルホテルの前は大きな広場になっています。ここは昔の人民広場、ロシア革命時には市民が集まって、革命か帝政かの議論をした場所です。

現在の中央広場                    セーベルホテル前の中央広場

当時の人民会議                当時の広場の様子(ロシア革命時の人民会議)



 私たちはここで、ある女性が来るのを待つことにしました。

尼港事件に詳しい人を前もってイーゴリーが探し当てていたのです。

10分ほど待つと、2人の女性が向こうから歩いてきました。1人はニコラエフスク資料館の元館長ソーニャさん、年格好は70前後か。もう1人は娘さんのエレーナさんでした。

ちょうどお昼時だったので、ランチを誘ったのですが、驚くことなかれ、この町にはレストランが1件しかありません。

ホテルもランチはなし。

しかたなく、私たちは町外れにある唯一のレストランといわれる「HongKong(香港)」に足を運ぶことにしました。

レストラン香港                       レストラン香港



 この一帯は、昔から中国系の人が多く住むチャイナタウンで、現在でも中国系の人が多く住んでいるとのこと。


ソーニャ元館長の話では、事件当時、この町は日本人よりも中国系や朝鮮系の人の方が多く住んでいたとのことでした。

木材の切り出しや海産物の塩漬けを作るのに労働力は不可欠。

この二つは尼港の産業でした。したがって他国からも多くの人が働きに来ていたのでしょう。

 運転手ニコライを含めた総勢5人は、この町で唯一とされるレストラン、「Hong Kong」に入ってみました。

店内にはロシア人と思しき家族連れが3組いて、普段から結構繁盛している様子。

店内の装飾にしても、赤、白、黄を基調にした中国独特な煌びやかさ、銀座のチャイニーズレストランも顔負けといったところか。カラオケセットが置かれ、それにステージまで備わっている。

 でも、味はどうなのか。

 それぞれがお好みで注文すると、出てきた物は回鍋肉(ホイコーロー)や青椒肉絲(チンジャオロース)、餃子といった日本の定番ばかり。ひょっとすると、これらはロシアでも定番だったのかもしれませんね。

そして料理の味は・・・、いや〜 これが実にうまい! 

一瞬、自分がシベリアの果てにいることなど、しっかり忘れてしまうほどに感激。

中国人夫婦2人が切り盛りするアットホームなレストラン。シベリアでもチャイナタウンは不滅でした。

 レストランからチヌイラフ方向に5分ほど車を走らせると、アムール川の河口が良く見える地点を発見しました。

アムール川の河口     
             アムール川の河口を望む


あの河口の向こうがオホーツクだ。

 91年前、事件を知った日本政府は陸軍に救援隊を要請。

2方向から尼港へ駆け付けます。が、氷で閉ざされた尼港へは簡単には近づけません。

ハバロフスクからアムール川を下って尼港に入る部隊と、もう一つは樺太から間宮海峡を通ってアムール川を上ってくる部隊です。 解氷時期を待って、この川を駆け上がってきた多門二郎大佐率いる北海道第7師団。

もう少しのところで救出できたのに・・・。

残念ながら居留民と守備隊の734人は全滅、無念の一語に尽きます。風化させてはいけない事件ですね。

 明日は尼港守備隊の兵舎跡、それに、「お菊さん」という女性が経営していた遊郭跡を訪ねたいと思います。 


大日本帝国の轍 土方 聡 ひじかたそう


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