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尼港事件の現場を訪ねて その2  いよいよ尼港へ・・・

 1920年(大正9)に起きた尼港事件の取材から始めます。ハバロフスク空港で私を出迎えたのは、イーゴリーという地元出身のロシア人。日本語は専門学校で学んだという38歳のイケメン。日本の歴史にも詳しく、今回の取材には頼もしい助っ人になりそう。

 ロシアは日本よりも西に位置するはずなのに、時差は日本より2時間プラスするというロシア独特の時間制を採用しています。3時間の放射能ロスタイムがあった為にホテルに着いたのは4時を過ぎてしまいました。明日の尼港(ニコラエフスク)行きの飛行機は朝9時発。イーゴリーと別れた私は、1人でアムール川を散策することにしました。

 ホテルから5分ほど歩くと、そこは雄大なるアムール川。水源から測ると全長4000㎞を超す大河です。中国との国境線を為して流れ、ウラジオストック方面から流れるウスリー川とはハバロフスク市内で合流、一段と水量を増してオホーツク海に向かって流れてゆきます。 
 
 川沿いには「文化と憩いの公園」という、市内でも有数な大きな公園があり、土曜日ということもあってたくさんの人が集まっていました。

ハバのコンサート
          アムール川に沿った公園にある野外音楽堂

 小さな野外コンサート場では、市民オーケストラが日頃の成果を披露しようとロシア民謡を奏でているし、展望台からの眺めは、河畔で日焼けを楽しむビキニスタイルのカワイコチャンたちの姿がどうにも目に眩しい。

ハバのアムール河畔
          アムール川のハバロフスク桟橋


 長い冬から抜け出した開放感か、短い夏を満喫しようと、こんな光景が随所で見られるのは、まさにヨーロピアン情緒といったところでしょうか。

 夜9時を廻ると、中国側の方向に真っ赤に染まった夕日が沈みかけます。市内周辺の川幅は約2、川面はまさにダイヤモンドの輝き。

 雄大なロシアの大地に身を任せるように流れてゆくアムール川。ここから800㎞下ったところに尼港(ニコラエフスク)はあります。 

ロシアの夕日
        アムール川を照らすハバロフスクの夕日

 翌日、ハバロフスク発、ニコラエフスク行きは朝9時ちょうどに離陸しました。

30人乗りの小型ジェット(イリューシン社製)は周3便で飛んでいるそうで、乗務員は機長と副操縦士の2人だけ。
乗降口も最後部という日本では見られないスタイルに唖然としました。

私とイーゴリーが最前列に座ろうとすると、そこは郵便物の置き場だそうで、下がるように指示されたのには参りました。

結局、私たちの前列は大きな麻袋に入った荷物がいっぱい。これは3日遅れの便りなのか。

上空からのアムール川
             雄大なシベリア平原を走るアムール川
 
 飛行時間は1時間30分、眼下には大シベリア平原を流れる壮大なアムール川が・・・、まるで大蛇のように曲がりくねり、大小の支流を吸収して益々肥大してゆく。天気が良いせいか、大湿原地帯がよく望め、そのスケールの大きさに感動してしてしまいました。  
 
 あと20分で着陸というアナウンスが機内に流れると、(もちろんロシア語ですが)その時、イーゴリーが急に携帯電話をかけはじめるのです。

 私は思わず、「おい、まずいだろ!」
 たしなめると、イーゴリーは悠然と、
 「大丈夫ですよ」
 と、全く意に介さない。

 気まずくなった私は、バツ悪そうに後ろを振り返ったのですが・・・、(何ていうことだ)20人程度の乗客のほとんが携帯電話をしているではありませんか。他国では考えられないことですよ。

それでも飛行機は、無事にニコラエフスク空港に到着。降りると、そこは滑走路の端っこ、駐機場もありません。出迎えの人たちが自家用車で滑走路まで乗り込んでくるのです。当然、管制塔もなければターミナルもない、原っぱの飛行場なんですよ。

尼港の飛行場
            ニコラエフスク(尼港)の空港ビル

 そして、私たちのところにも28歳の運転手、ニコライが4WDのワンボックスで迎えにきていました。 いよいよ市内へ。15分ほど走るともう市内、丘の上には歓迎の看板、そしてミグ戦闘機のオブジェ。この町の創立は1850年だそうで、日本に置き換えるとペリーが黒船で浦賀に現れる3年前のことです。

ミグ戦闘機
       ニコラエフスク(尼港)にあるミグ戦闘機のオブジェ

尼港看板
       ニコラエフスク(尼港)市内に入る看板

 私たち日本人が忘れてはならない事件の一つ、それが尼港事件です。1920年(大正19)の3月から5月にかけ、この町に住んでいた734人の日本人全員が赤軍パルチザンに虐殺されてしまいました。その事件からすでに91年が経ち、今、この町に足を踏み入れようとしています。町はどのように変貌したのか。当時あった大日本帝国領事館は如何に・・・。


大日本帝国の轍 土方 聡 ひじかたそう


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