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尼港事件の現場を訪ねて その1 ハバロフスク空港  土方 聡

みなさん 大日本帝国の轍 著者 土方 聡です。

ロシア沿海州の北端、と言えばアムール川河口近くの町、ニコラエフスク・ナ・アムーレが頭に浮かびます。

戦前は尼港(にこう)と呼ばれ、日本人も多く住んでおり、オホーツク海で取れる海産物の中継基地として、また加工場としても栄えていました。
木材の集積地としても重要な地点になっていたのです。
この町に悲劇が襲ったのは1920年(大正9)の春、尼港守備隊と民間人を合わせて734人の日本人全員が虐殺された現場なのです。
歴史の渦に葬り去られた尼港事件、果たして今、現場はどうなっているのでしょうか。
私、土方聡は2011年(平成23)の6月に現地を訪れてみました。

日本からニコラエフスク(尼港)へ行くには、ハバロフスクを経由しなければなりません。
ハバロフスクからは週三便、何と不便な所でしょうか。
まずは成田空港へ・・・。  
成田空港からウラジオストック航空でハバロフスクまでは約3時間、飛行機は200人は優に乗れるのに乗客は25人しかいません。
それも日本人は私一人の心許無さ。
その年の3月11日に東日本大震災が起き、福島第1原発の放射能事故が世界の関心事になっていたことを考えれば、
それも止む無しというところか。 
 それでも飛行機は無事にハバロフスク空港に無事到着。

しかし、ここからがびっくりなのです。

飛行機は空港ターミナルなどまったく見えない隅の方に追いやられて立ち往生、1時間は梨の礫になってしまいました。

でも同乗のロシア人たちは何の疑問も持たないのか、誰一人として不満が出ないのです。

きっと機内放送で事情がわかっていたんでしょうね。理解出来ないのは私だけかも・・・。

その内、外を眺めていたら、

アポロ11号のアームスロング船長のような宇宙服を身につけた10人ばかりが近づいてきて、
放射能測定器のような器具を持って何やら飛行機の廻りをうろちょろし始めたのです。
(こりゃ何だ!)

まったく状況を知らない私には何が起こっているのかさっぱりわからず、

狐につままれた気分でいると、今度は宇宙服の2人が機内に乗り込んできたのです。

そして、ガイガーカウンターのような探知機で一人づつ頭から足の先までチェックを始めたのには驚きました。

やっとの思いでタラップから降りると、すでに3時間が経過していました。   

広大な空港の一番隅っこに追いやられた成田発の飛行機。放射能に対する警戒感は所変われば品変わるか、チェルノブイリの教訓はこうやってロシア国民に受け継がれていたのです。


 いよいよ明日は尼港です。


 大日本帝国の轍 土方 聡 ひじかたそう


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